2016年7月9日土曜日

自己(経歴)紹介


このたび、『 TBSの報道の魂 』という番組で、1994年から現在までの私の半生ともいえる22年間を取材した内容が、『 ビルマから来た少女 』 というタイトルで、2016年6月19日に放送されました。

今までも、ニュースの中で何回か放送されましたが、今回はドキュメンタリーとして、30分ほど放送されました。


取材という形で22年間応援してくださったスタッフの皆様、また番組を見て応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。


これからも、私なりに頑張ります。


ミャンマーと日本をつなぐ 「 かけ橋 」 なんて、大それたものにはなれないと思いますが、橋の小さな何かの部品にでもなれたら嬉しいなぁとは思っています。


これからも、よろしくお願い致します。




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上記の『TBSの報道の魂』で放送されました「ビルマから来た少女」が、今度は、大阪の毎日放送(MBS)4チャンネルで、2016年7月17日午前5時から放送されることになりました。番組名は「JNNルポルタージュ」だそうです。
視聴できるエリアが、大阪や京都、和歌山などの近畿地方だそうです。朝の早い時間帯の放送ですが、ご興味のある方は、ぜひどうぞ。





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皆様、こんにちは。

ブログ投稿第一回目の今回は、私テーテーイスェ(Thae Thae Ai Swe)の自己紹介をしたいと思います。


簡単な紹介

1979年2月25日、ミャンマーのヤンゴン生まれ

1991年に家族と共に来日


ミャンマーでの最終学歴 ミャンマーの言い方では、8年生終了(日本での学年にすると、中学校卒業)


日本での最終学歴 夜間中学校に通い、都立上野忍ヶ岡高等学校を経て、文化服装学院卒業


28歳の時に結婚し、現在は一児の母として子育てに奮闘中



日本語レベル : 日本語検定1級合格




通訳・翻訳歴


夜間中学校に通い始める前に、日本語学校で日本語を学んでいたため、ある程度出来るようになっていました。そのため、十代の頃から所属していたビルマ人ボランティアグループの活動の一環として、日本語が出来なくて困っているビルマ人の人達に日本語ビルマ語通訳翻訳のボランティアをし始めました。内容としましては、家探しの際の不動産屋とのやりとりや病院でのやりとり、役所や職場でのやりとりなどなどでした。
専門学校に通い始めた時期からは、通訳・翻訳が出来る事が徐々に広まり、仕事としての依頼も入るようになりました。

明かせない内容も多くありますが、一部を紹介しますと、電通や入国管理局、ユネスコ、法律事務所、テレビ局、難民支援協会や輸出入会社などの組織単位だけではなく、アーティストや旅行者などの個人単位での通訳・翻訳まで多岐にわたり、仕事をさせていただきました。


内容も、難しいもので、入国管理法改正時の翻訳から、国際会議や講演会、商談での通訳はもちろん、留置所での取り調べや接見時の通訳、裁判所に提出する書類の翻訳、病院での診察や手術時の通訳、万博会場でのガイドを兼ねた通訳、ビザ申請時の書類翻訳、テレビ番組の通訳・字幕制作、取材時の同行通訳、受賞式での付き添い通訳などだけではなく、旅行の同行ガイド通訳や歌詞の翻訳、ラブレターの翻訳まで多岐にわたり、仕事をさせていただきました。




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詳しい自己紹介

1979年2月25日に、4人兄弟の末っ子として、ミャンマー(当時、ビルマ)の当時の首都ヤンゴン(当時の名前は、ラングーン)で、生まれました。自分の生い立ちを語る上で、ビルマの政治情勢を、まず話さなければなりません。

長く独裁政権に支配されたビルマでは、国民の怒りが爆発し、学生たちのデモをきっかけに、民主主義を求める運動が広がり、それを抑えるために、軍がクーデターを起こし、また独裁政権が続きました。


この1988年の民主化を求める国民運動では、高校生だった一番上の兄もデモに参加し、軍のクーデターの後、大勢のデモ参加者たちが逮捕投獄された時、高校生だった兄も例外なく、マークされ、逮捕されそうになり、寸前で兄と一人では心配だったので父が一緒にタイに逃れ、その後、日本にやって来ました。


1990年にビルマでは、総選挙が行われ、アウンサンスーチー女史もNLD党から出馬しましたが、建国の父であるアウンサン将軍の娘であり、立派な思想を持ったスーチー女史に対する国民の人気を恐れ、長きにわたり、スーチー女史を自宅軟禁し、多くの政治活動家たちを逮捕投獄しました。ですが、軍政の圧力にも負けず、スーチー女史が率いるNLD党が圧勝し、ビルマは民主化するかのように思えましたが、軍政は政権を渡すことはなく、より一層ひどい支配が続きました。


そんな中、私たち家族は、選挙の結果を待ち望みました。選挙後、ビルマが民主化したら、兄と父がビルマに戻ってきて、また家族そろって幸せに暮らせると思っていました。

ですが、選挙後も変わらず軍事政権が続き、高校生になった二番目の兄もまた学生運動に加わるようになり、また危険がせまってきたので、これ以上家族がバラバラにならないようにと、今度は私も含め残っていた家族全員で国を出て、みんな一緒にいようという話になり、1991年に母と兄二人と、先に日本にいる父と一番上の兄と一緒に暮らすためにミャンマーから日本へやって来ました。

この頃に、今まで英語で正式な国名が『ビルマ』だったものを軍事政権は、国民に同意を求める事なく勝手に、『ミャンマー』に変えました。この事に対し、スーチー女史を含め多くの人や国が反対し、『ビルマ』を使い、私もつい最近、スーチー女史率いるNLD党が2度目の選挙での大圧勝を収め、政権が交代するまで使い続けました。


そんな私のミャンマーでの最終学歴は、ミャンマーの言い方で言いますと、8年生まで終了しています。ミャンマーは1年生の前に、1年間、基礎学年があるので、それを合わせますと、9年間になり、日本で言ったら、小学校6年間と中学校3年間を合わせた9年間を終わったのと同じ感じです。分かりやすく言いますと、中学校卒業までと言ったところです。


日本での学歴は、15歳の時に、夜間中学校に2学期から通い始め、3月に卒業し、その年の4月に、今はもうない、都立上野忍ヶ岡高校の生活文化科で、国語や数学などの普通学科に加え、衣服や食物、保育、福祉などの家庭科的な学科を勉強しました。


高校生の時に、両親が、高田馬場駅近くで、ビルマキッチン『ナガニ』というミャンマー家庭料理(ビルマ家庭料理)のお店を始めたので、学校が終わったら、お店を手伝う日々が始まりました。


高校を卒業した後は、新宿にある文化服装学院に進学し、服装科というところで、服づくりについて学びました。


専門学校に行き始めた頃から、それまではボランティアとしてやっていた、日本語ミャンマー語(ビルマ語)通訳・翻訳が仕事として、依頼が入るようになりました。


専門学校を卒業した後、デザイン会社や特許事務所で、しばらく仕事をしていましたが、日本語ミャンマー語(ビルマ語)通訳・翻訳の仕事の方が、どんどん忙しくなり、いつしか通訳・翻訳のみで生計を立てていました。

この時に、日本人にミャンマー語を教え、ミャンマー人に日本語を教えたりもしていました。
また、ボランティアも含め、「ビルマ」を広める活動として、講演会やセミナーの講師などもしていました。
うまくはないですが、ビルマの民族舞踊が踊れたので、講演会ではビルマの文化を紹介するために、民族衣装を着て踊りも踊りました。
また、両親がビルマ家庭料理屋を経営していたことや家でビルマ料理を毎日作ってたこともあり、ビルマ料理を教えたり、ふるまったりする講演会もありました。

当時は、喜納昌吉さんとミャンマー人アーティストのコンサートで司会を務めたこともありました。


結婚するまで、精力的にやっていた通訳・翻訳の仕事ですが、結婚後は子供が欲しかったことや他にやりたい事も出来たことで少し減らしました。

一番、仕事を減らした原因は、私が民主化を求める活動家であることから大使館や政府に仕事を邪魔される事が多くなったことや軍事政権に利益が生じないように仕事をするには限界があったからでした。ここ何年間かはボランティアとしての通訳・翻訳をするのみでした。

ですが、このたび、アウンサンスーチー女史率いるNLD党が選挙で大圧勝し、無事に政権交代したため、これからは、大使館や政府に邪魔されることなく、軍事政権に利益が生じることもなく、通訳・翻訳の仕事が出来そうなので、娘が一歳になるのを機に、日本語ミャンマー語(ビルマ語)通訳・翻訳の仕事を再開しました。

また、講演会やセミナーの講師の仕事、ミャンマー語を教える仕事も再開しました。

これからは、今までの、日本語ミャンマー語通訳・翻訳、ミャンマーに関する講演会やセミナーの講師、ミャンマー語教師の仕事だけではなく、ミャンマーへの旅行の手配から、ミャンマーとのビジネスのお手伝いまで致します。ぜひ、よろしくお願い致します。


ミャンマーが発展して行くためには、教育と仕事が必要です。それも、ちゃんとした教育と仕事です。ミャンマーで生まれ、日本で育った私としましては、ミャンマーに日本式のきちんとした教育と仕事を伝えたいです。

ボランティアも、仕事も、旅行も、移住も、組織も、個人も、どんどん日本とミャンマーが交流出来たら、これ以上にうれしいことはありません。
私の娘には日本、ベトナム、ミャンマーの血が流れています。大きくなった娘には良い関係で発展し、助け合う世界を見せられたらと思っています。

ミャンマーのことなら、私テーテーイスェ(Thae Thae Ai Swe)に、まずご相談ください。よろしくお願い致します。


Tel  : 070-5581-7815  /  Mail : spec-spec@willcom.com

お電話でのお問い合わせの場合、仕事中などですぐに電話に出られない場合がございます。留守番電話に、「お名前」、「仕事依頼であること」、「お電話番号」などのメッセージを入れていただければ、折り返しお電話いたします。よろしくお願い致します。




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謝罪

上記の自己紹介文の中で、ミャンマーとビルマが両方使われ、混乱された方がいらしゃることかと思いますが、ミャンマーとビルマは同じ国の名前であり、以前はビルマだった国が、現在はミャンマーと呼ばれています。
両方を使ってしまい、混乱を招いた場合は、大変もう訳ございませんでした。